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おはようございます。私は、昔従兄弟が京王線府中に住んでいたので、1970年代にまだ、地上駅時代の府中を知ってます。まだ、南口は商店街や家屋がたくさんありました。北口はバスターミナルになってました。そこから、国分寺駅行きの京王帝都のバスに乗りました。そういえば、京王線も昔は、京王帝都電鉄と呼ばれてましたね。
いつも貴重な映像ありがとうございます。今や懐かしさで胸が一杯になります。特に駅のコンクリート柵とその前の砂利道、昔はそうでした笑。小田急さんもそうですが、本当に地域の為に色々して頂いて、感謝しております。
大國魂神社で名前を頂きました。昭和50年代かな?八王子側から降りると左側からしか降りれ無くてたしか階段登って反対のホームまで行ってそこにしか改札が無かった様に思います。新宿側からだと秒で改札だった記憶が?当然皆踏切で移動してた。どこの駅のホームもですが柱に缶詰の上蓋が開いてて水が入っててそこで普通にタバコ吸ってたらまだいい方、普通にホームは吸殻やタバコの箱、ツバやタ◯、ガムなんか当たり前、府中だけにハズレ馬券やスポーツ新聞とか平気で捨ててカオスな状態でしたね。まぁ東京競馬場の馬券売り場一階の方がなんかドブ見たいな匂いで凄かったけどまたソレが醍醐味でした。線路の下にターミナルなんて考えもしなかった。駅から大國魂神社方面に行くといろんな商店がありましたね。中でも古びたおもちゃ屋さんに行くのが楽しみでした。団子屋さんでお茶飲みながら親が団子食べてたなー。そこら辺一帯が遺跡調査してましたね。懐かしい。昔は酷い環境で手間がかかるがそっちの方が楽しかったね!なんか自由でしたね。
かつて、通勤で府中本町や府中駅を利用してました。どの駅も変わってますが、大國魂神社やケヤキ並木は変わってなくて懐かしいですね。大國魂神社で、帰宅時に酉の市に寄ったり、やくらやみ祭りの参加者だろう法被姿のグループを、朝のハンバーガー屋で見かけたなあ。
少年が立っている場所は西友の通りですね。また府中南口の繁華街はごちゃごちゃしていて子供心に気味悪さと好奇心を感じていました。高校時代今では考えられませんし、やってはいけませんが、初めてお酒を飲んだのは府中のてんぐでした。その後、社会人となりお気に入りの飲み屋が出来て…今は全部きれいになりました。
お疲れ様です。初めて京王線(K.T.R:KEIO TEITO RAILWAY)に乗ったのは緑色の各駅停車車両。南武線はこげ茶色で床が板張りで社内にポールが立っていたことを思い出しました。前回の動画の後に大國魂神社にお参りしてお守り頂いてきました。酉の市ですか一年は早いですね。
現在の近代的な佇まいの京王府中駅とその周辺からは、50‐60年前の写真にある雰囲気は全く感じることは出来ませんが、長いこと当地で暮らしている方々はまた違った想いがあるのでしょうね。
国分寺から下川原線が出ていました。ひとつめが北府中、今の武蔵野線の駅と同じで次が終点の東京競馬場前駅、国鉄で一番長い駅名で府中本町駅のすぐ目の前にあったそうです。国分寺駅の下川原線ホームにチョコレート色の旧型国電が短い編成で停まっているのを何度か見かけましたが、とうとう乗り損なってしまいました。
0:31 京王2700系 実際には緑色のグリーン車です。ホーム短いですね、4両までかな。
府中本町駅も武蔵野線が出来る前はどういう形だったのか想像が付きません・・・。開業当時は小さな駅だったんですね。
昭和54年の府中(私は小2)なら思い出せる世代ですが、府中本町駅の「山」は崖線の先端を削ったような感じなんでしょうね。大國魂神社方向から府中本町駅の入口になる小道がありますが、それが古い鎌倉街道のようです。欅並木、フォーリス前辺りはむしろ昭和54年辺りはお店が今の壁面線よりせり出していて、欅は少なかったように思います。ル・シーニュの前に比べると木が若く、再整備されたと思います。
ありがとうございます。
府中本町が武蔵野線でなく下河原線だったころ、甲州街道のど真ん中に踏切があったんだよ。踏切渋滞もあったよ。
府中駅が地上にあった頃、下りホームの待避線が存在していましたが高架化と長編成化で撤去されて隣の東府中駅に待避線を新設したためにホーム間での乗り換えができないことに特急から各駅の乗り換えは特急が行った後に来る形になりました。
自分がこの路線を利用していた、昭和50年代前半の面影すらありませんね〜❗️😮💨
山が削られちゃったのかー😮
自分が府中本町駅へ行ったのは1984年か、五藤光学の本社まで空地だらけだったような…
府中本町駅から府中競馬場まで回廊が出来たのも凄い事だと思います。
高架化して30年経ったんやね。
いやぁ旧府中駅舎なつかしい。南口と北口が地下通路で繋がっていて今より便利だった。南口は多くの個性的な商店が軒をつなれており楽しかった。北口の駅売店で発売したての日清カップヌードルを買って食べた時の衝撃は忘れられない。緑の電車は各停専用だったが窓を全開にすると大きく開口してまるでオープンカーに乗っている気分だった。ダイヤの本数も少なかったので府中から新宿まで特急で減速することなく20分もかからなかった。古き良き時代でした。
府中駅が地上にあった頃、高校に行くとき、今のミッテンの前あたりからダッシュすれば目的の電車に乗れたんだよな。(昔も駆け込み乗車は禁止でしたが。。。)府中本町駅は、武蔵野線が開業するのに合わせて今の形に変貌しました。以前は、立川行ホームに側線があって、奥多摩に返送する石灰石運搬用の貨車が電車を待避していました。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo comme toujours ! ✨✨
こんなご時世なのに府中は人口が増え、特に子供が増えてるんですよね。小学校が増築したりしています。
“西武バスか!? ”1960年代撮影の府中本町駅の画像・右側に「貸切(もしくは“急行”)」の行き先表示板のバスと思われれる車両が写っています。恐らく駅と多摩川競艇場前間を結ぶ西武バスです。事実とすればとても貴重な瞬間です。最近まで西武が担当していましたが、現在は京王に移管しました。
府中の南口がちょっと小汚い感じの頃にはよく待ち合わせしたなぁ
けやき並木に「けやき鮨」って寿司屋があったんだよ。旧じゃない甲州街道に近い方。俺の先輩の実家だよ。今はもうないよ。
We are not alone. 府中にいるのは われわれだけではない。
おはようございます。私は、昔従兄弟が京王線府中に住んでいたので、1970年代にまだ、地上駅時代の府中を知ってます。まだ、南口は商店街や家屋がたくさんありました。北口はバスターミナルになってました。そこから、国分寺駅行きの京王帝都のバスに乗りました。そういえば、京王線も昔は、京王帝都電鉄と呼ばれてましたね。
いつも貴重な映像ありがとうございます。今や懐かしさで胸が一杯になります。特に駅のコンクリート柵とその前の砂利道、昔はそうでした笑。小田急さんもそうですが、本当に地域の為に色々して頂いて、感謝しております。
大國魂神社で名前を頂きました。昭和50年代かな?八王子側から降りると左側からしか降りれ無くてたしか階段登って反対のホームまで行ってそこにしか改札が無かった様に思います。新宿側からだと秒で改札だった記憶が?当然皆踏切で移動してた。
どこの駅のホームもですが柱に缶詰の上蓋が開いてて水が入っててそこで普通にタバコ吸ってたらまだいい方、普通にホームは吸殻やタバコの箱、ツバやタ◯、ガムなんか当たり前、府中だけにハズレ馬券やスポーツ新聞とか平気で捨ててカオスな状態でしたね。
まぁ東京競馬場の馬券売り場一階の方がなんかドブ見たいな匂いで凄かったけどまたソレが醍醐味でした。
線路の下にターミナルなんて考えもしなかった。
駅から大國魂神社方面に行くといろんな商店がありましたね。
中でも古びたおもちゃ屋さんに行くのが楽しみでした。
団子屋さんでお茶飲みながら親が団子食べてたなー。
そこら辺一帯が遺跡調査してましたね。懐かしい。
昔は酷い環境で手間がかかるがそっちの方が楽しかったね!なんか自由でしたね。
かつて、通勤で府中本町や府中駅を利用してました。どの駅も変わってますが、大國魂神社やケヤキ並木は変わってなくて懐かしいですね。
大國魂神社で、帰宅時に酉の市に寄ったり、やくらやみ祭りの参加者だろう法被姿のグループを、朝のハンバーガー屋で見かけたなあ。
少年が立っている場所は西友の通りですね。また府中南口の繁華街はごちゃごちゃしていて子供心に気味悪さと好奇心を感じていました。高校時代今では考えられませんし、やってはいけませんが、初めてお酒を飲んだのは府中のてんぐでした。その後、社会人となりお気に入りの飲み屋が出来て…今は全部きれいになりました。
お疲れ様です。初めて京王線(K.T.R:KEIO TEITO RAILWAY)に乗ったのは緑色の各駅停車車両。南武線はこげ茶色で床が板張りで社内にポールが立っていたことを思い出しました。
前回の動画の後に大國魂神社にお参りしてお守り頂いてきました。酉の市ですか一年は早いですね。
現在の近代的な佇まいの京王府中駅とその周辺からは、50‐60年前の写真にある雰囲気は全く感じることは出来ませんが、長いこと当地で暮らしている方々はまた違った想いがあるのでしょうね。
国分寺から下川原線が出ていました。ひとつめが北府中、今の武蔵野線の駅と同じで次が終点の東京競馬場前駅、国鉄で一番長い駅名で府中本町駅のすぐ目の前にあったそうです。
国分寺駅の下川原線ホームにチョコレート色の旧型国電が短い編成で停まっているのを何度か見かけましたが、とうとう乗り損なってしまいました。
0:31 京王2700系 実際には緑色のグリーン車です。ホーム短いですね、4両までかな。
府中本町駅も武蔵野線が出来る前はどういう形だったのか想像が付きません・・・。
開業当時は小さな駅だったんですね。
昭和54年の府中(私は小2)なら思い出せる世代ですが、府中本町駅の「山」は崖線の先端を削ったような感じなんでしょうね。大國魂神社方向から府中本町駅の入口になる小道がありますが、それが古い鎌倉街道のようです。欅並木、フォーリス前辺りはむしろ昭和54年辺りはお店が今の壁面線よりせり出していて、欅は少なかったように思います。ル・シーニュの前に比べると木が若く、再整備されたと思います。
ありがとうございます。
府中本町が武蔵野線でなく下河原線だったころ、甲州街道のど真ん中に踏切があったんだよ。踏切渋滞もあったよ。
府中駅が地上にあった頃、下りホームの待避線が存在していましたが高架化と長編成化で撤去されて隣の東府中駅に待避線を新設したためにホーム間での乗り換えができないことに特急から各駅の乗り換えは特急が行った後に来る形になりました。
自分がこの路線を利用していた、昭和50年代前半の面影すらありませんね〜❗️😮💨
山が削られちゃったのかー😮
自分が府中本町駅へ行ったのは1984年か、五藤光学の本社まで空地だらけだったような…
府中本町駅から府中競馬場まで回廊が出来たのも凄い事だと思います。
高架化して30年経ったんやね。
いやぁ旧府中駅舎なつかしい。南口と北口が地下通路で繋がっていて今より便利だった。南口は多くの個性的な商店が軒をつなれており楽しかった。北口の駅売店で発売したての日清カップヌードルを買って食べた時の衝撃は忘れられない。緑の電車は各停専用だったが窓を全開にすると大きく開口してまるでオープンカーに乗っている気分だった。ダイヤの本数も少なかったので府中から新宿まで特急で減速することなく20分もかからなかった。古き良き時代でした。
府中駅が地上にあった頃、高校に行くとき、今のミッテンの前あたりからダッシュすれば目的の電車に乗れたんだよな。(昔も駆け込み乗車は禁止でしたが。。。)
府中本町駅は、武蔵野線が開業するのに合わせて今の形に変貌しました。以前は、立川行ホームに側線があって、奥多摩に返送する石灰石運搬用の貨車が電車を待避していました。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo comme toujours ! ✨✨
こんなご時世なのに府中は人口が増え、特に子供が増えてるんですよね。小学校が増築したりしています。
“西武バスか!? ”1960年代撮影の府中本町駅の画像・右側に「貸切(もしくは“急行”)」の行き先表示板のバスと思われれる車両が写っています。恐らく駅と多摩川競艇場前間を結ぶ西武バスです。事実とすればとても貴重な瞬間です。最近まで西武が担当していましたが、現在は京王に移管しました。
府中の南口がちょっと小汚い感じの頃にはよく待ち合わせしたなぁ
けやき並木に「けやき鮨」って寿司屋があったんだよ。旧じゃない甲州街道に近い方。俺の先輩の実家だよ。今はもうないよ。
We are not alone. 府中にいるのは われわれだけではない。